抗血栓性高分子のバリア機能の原因を解明
- 中性子散乱による中間水の状態の解析に成功 -
総合科学研究機構
高エネルギー加速器研究機構
J-PARCセンター
九州大学
発表のポイント
✣ 重症呼吸器系疾患の治療に重要なECMO※1 の性能向上のためには血栓を作りにくい高分子材料の開発が必要
✣ 抗血栓性高分子PMEA※2 において血栓形成を防ぐバリア層として働く水の存在を初めて実証
✣ 新たな抗血栓材料の創製に繋がる研究成果であり、今後の医療技術の発展に貢献
概要
総合科学研究機構(CROSS)と高エネルギー加速器研究機構(KEK)、近畿大学、東京理科大学、九州大学の共同研究グループは、大強度陽子加速器施設(J-PARC)物質・生命科学実験施設(MLF)※3 の中性子散乱実験装置を用いて、実際に ECMOの回路内壁コーティングに使用されているポリ(2-メトキシエチルアクリレート)(PMEA)に水和する水の運動状態を調べ、高分子との相互作用により通常の水よりも10倍から100倍遅い水(中間水)が存在することを初めて明らかにしました。また、原子間力顕微鏡(AFM)実験の結果と比較することにより、PMEAのナノメートル(10-9 メートル)サイズのミクロ相分離構造に対応して、遅い水の運動が空間的に制限されていることが分かりました。この結果により、PMEAにおいて抗血栓性が発現するメカニズムが明らかになりました。
この発見は、既製品を超える性能を持つ新たな抗血栓性材料を創製するための設計指針を与えるもので、今後の超高齢社会を支える医療技術の躍進のためにも極めて重要な研究成果であり、幅広い展開が期待されます。
本研究成果は、日本時間2026年6月25日にアメリカ化学会の学術誌The Journal of Physical Chemistry Bに掲載されました。
研究の背景
体外式膜型人工肺(ECMO)を用いた治療は、コロナウイルス感染症のみならず、重症呼吸器系疾患の生命維持の要として利用されています。しかし、ECMOの利用には血液循環に伴う回路内部での血栓形成により長期間にわたる使用が困難であるという制限があり、医療現場における大きな課題となっています。この問題を解決するためには、長期間の使用に耐えうる優れた抗血栓性を有する新材料の開発が求められています。そのためにはまず抗血栓性の発現要因を明らかにすることが必要です。これまでの研究により、抗血栓性材料と血液成分との界面には特殊な構造の水がバリア層として存在していることが予想されていましたが、その形成メカニズムに関する理解には至っておらず、さらに優れた抗血栓性を示す材料の開発は、経験則に頼らざるを得ないという状況でした。
研究の内容と成果
共同研究グループは、中性子散乱を用いて抗血栓性高分子PMEAとその表面に吸着している水の運動状態を調べ、抗血栓性の起源となる水分子のバリア層の形成メカニズムの解明に取り組みました。中性子散乱は、分子や分子集団の構造と運動状態を明らかにする実験手法です。その中で中性子準弾性散乱は、水素原子の個々の動きを知ることができる実験手法で、軽水素と重水素※4 を使い分けることにより、材料とその中に含まれる水のそれぞれの動きを明らかにすることができます。そこで軽水素からなる通常のPMEAに重水を含ませた試料と、重水素化したPMEAに軽水を含ませた試料を用意して、それぞれの中性子準弾性散乱測定を行いました。それにより、PMEAの分子鎖の運動状態と、PMEAに吸着している水の運動状態を、独立に調べました。その結果、PMEAとの相互作用により通常の水よりも10倍から100倍遅い水(中間水)が存在することが明らかになりました。すなわち、PMEAが抗血栓性を発現するための要因と考えられていた中間水の存在を、初めて実証する結果となりました。
それに加えて、中間水が動いている範囲がナノメートルスケールに限られていること(図)を示しました。これは、以前の原子間力顕微鏡(AFM)を用いた研究で、PMEAと水の相互作用によりミクロ相分離構造が形成されていて、それが中間水の「足場」となっている、という結果に対応しています。
研究の意義と今後の展望
今回の研究結果により、親水性部分と疎水性部分を持つPMEAで、なぜ中間水が形成されるのかを明らかにする、重要な知見が得られたことになります。これにより、より効果的に中間水を制御できる材料の開発に指針を与え、安全で高性能な医療機器の開発を後押しすることが期待できます。
図 中間水の運動の様子の模式図。狭い範囲に制限された「速い局所拡散」と、やや広い範囲の「遅い局所拡散」、そして制限空間の間を移り変わる「重心拡散」の3種類があり、それらが高分子と水のミクロ相分離構造と関係していることが分かった。
研究支援
J-PARCの物質・生命科学実験施設における中性子実験は、ビームラインBL02 DNA(課題番号:2020BU0201, 2020B0440)にて実施されました。また、JSPS科研費JP18H05717とJP19H05720、及び「物質・デバイス領域共同研究拠点: 人・環境と物質をつなぐイノベーション創出ダイナミック・アライアンスにおける展開共同研究」の助成を受けています。
各研究機関の役割
総合科学研究機構:研究計画全体の主導、中性子散乱実験、解析、論文執筆
高エネルギー加速器研究機構:研究計画策定、試料準備
近畿大学:試料準備、DSC実験、中性子散乱実験
東京理科大学:試料準備、DSC実験、中性子散乱実験
九州大学:研究計画策定、 高分子の設計と合成、試料準備、 DSC実験、論文執筆
論文の情報
| 論文タイトル | Dynamics of Intermediate Water in Biocompatible Poly(2-methoxyethyl acrylate) Revealed by Quasi-Elastic Neutron Scattering |
|---|---|
| 掲載誌 | The Journal of Physical Chemistry B |
| 著者 | 瀬戸 秀紀1,2、村上 大樹3、富永大輝1、塩本 昌平4、田中 賢5 |
| 著者所属 | 1 総合科学研究機構中性子科学センター、 2 高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所、 3 近畿大学産業理工学部、 4 東京理科大学先進工学部、 5 九州大学先導物質化学研究所※5 |
| DOI | https://doi.org/10.1021/acs.jpcb.6c02094 |
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用語解説
※1:ECMO:体外式膜型人工肺(extracorporeal membrane oxygenation)
通常の人工呼吸器管理では対応できない重症呼吸不全などに対して用いられる簡易式の人工心肺。ポンプを用いて脱血し、膜型人工肺でガス交換を行って患者に返血する仕組みになっている。ECMO稼働中は出血と血栓形成に注意する必要があり、専門的知識と技術を持つ医療チームによる集中管理が不可欠とされている。
※2:PMEA:ポリ(2-メトキシエチルアクリレート)
優れた血液適合性(抗血栓性)をもつバイオメディカル用高分子で、人工心肺などの体外循環回路のコーティング剤として用いられている。日本企業が開発したことで知られており、世界シェア第1位となっている。
※3:大強度陽子加速器施設(J-PARC)物質・生命科学実験施設(MLF)
J-PARCは、日本原子力研究開発機構(JAEA)と高エネルギー加速器研究機構(KEK)が共同で茨城県東海村に建設し運用する研究施設。MLFでは陽子ビームを水銀標的及び炭素標的に当てて発生する中性子やミュオンを利用して、物質や生命現象の解明、新材料開発などの先端学術研究や産業利用研究が行われている。
※4:軽水素と重水素
軽水素と重水素は水素の安定同位体で、軽水素の原子核は陽子1つで、重水素の原子核は陽子1つと中性子1つで構成されている。重水素原子は軽水素原子の約2倍の質量を持つ。
※5:九州大学先導物質化学研究所
新しい機能性分子の合成、新しい分子集積の化学、有機・無機融合材料の化学、先端材料の素子化に関する化学など、多岐にわたる研究に取り組んでいる研究所。各分野の研究グループが連携して、原子・分子・ナノスケールからマクロスケールまでの物質の構造と機能にかかわる基礎学術とその応用化に関する研究を推進している。ソフトマテリアル学際化学分野の田中賢研究室は、医療機器の表面設計に強みを持っている。https://www.cm.kyushu-u.ac.jp/
