物質・生命科学実験施設

陽子ビームによる中性子源

○陽子ビームを中性子に変えるには

高エネルギーの陽子ビームをターゲット物質に照射すると、標的の核がバラバラに壊れる核破砕反応によって、中性子を主として、陽子、中間子等の二次粒子が発生します。ここで得られる中性子はエネルギーの高い速中性子ですが、物質科学や生命科学にはエネルギーが低く、遅い中性子を用います。このため、軽水や液体水素を材料とする減速体(モデレータという)をターゲットの近傍に置いて、ここでターゲットで発生した速中性子を減速させ、目的とする遅い中性子を作り出します。

陽子ビームを入射して中性子ビームを取り出すまで

○ターゲット物質の選択

ターゲットでの中性子発生数は、標的物質が重くかつ密度が大きいほど多いので、タングステン、タンタルといった固体金属がターゲットに用いられています。物質・生命科学実験施設では既存の同種の施設(例えば、英国ラザフォード・アプルトン研究所のISIS)よりも6〜7倍の強度の陽子ビームを用いるので、ターゲットでの発熱が高く、これを十分に除熱するには、冷却水の比率を高くする必要があります。この場合、密度の軽い水の割合が増えるので、中性子生成効率はビーム強度の増加分ほど増えるわけではありません。
これに対して、液体金属を用いると、自身が流体のため、中性子発生だけでなく冷却材としての役割を果たすことができます。したがって、軽い冷却水の混入による中性子発生効率の低下もなく、固体金属よりも高い中性子発生効率を得ることができます。このような液体金属として、水銀をターゲット物質材の第一候補として選択しました。

○モデレータ

モデレータには比較的小さな体積の含水素物質を用います。物質・生命科学実験施設に設置する核破砕パルス中性子源のモデレータでは、熱・熱外中性子源としては軽水、冷中性子源としては液体水素を用います。
裸のモデレータから得られる中性子ビームの強度を増やすには、その周囲に反射体を置くと非常に有効です。反射体によって液体水素モデレータからの中性子は10倍以上にも大きくすることができます。これは、反射体の中で中性子が減速・熱化し、モデレータに流入するためです。しかしながら、この減速・熱化に時間を要するために、モデレータから出る中性子は、パルス幅が拡がるとともに、その減衰部には長いテイルを引くという特性を示すことになります。
物質の構造などを分解能よく高精度で調べる場合には、強度をある程度犠牲にしてでも、幅の狭い、よりきれいなパルス波形をもった中性子ビームを必要とします。このためには、反射体とモデレータの間を、適当な遮断エネルギーを持ったカドミウム(Cd)や炭化ホウ素(B4C)などの中性子吸収板で仕切ると、反射体の中を遠回りして、エネルギーを下げた中性子がモデレータに流入することを阻止できます。この中性子吸収板のことをデカップラー(decoupler)と呼び、これと組み合わせたモデレータのことを非結合型モデレータといいます。これまでの研究の結果、デカップラーを置いても、裸の場合よりは3倍程度高い中性子強度を得られることがわかっています。
一方、デカップラーのないモデレータのことを結合型モデレータ(Coupled Moderator)と呼び、中性子のパルスの時間構造が少々劣っても、積分強度の高いほどよいという実験に最適です。

○プレモデレータ

液体水素を用いるモデレータは放射線損傷を考える必要のない優れた低温減速材ですが、水素密度が固体または液体メタンやポリエチレン、軽水等に比べてかなり小さいことが欠点です。プレモデレータとは液体水素を用いるモデレータの外側を包むように配置する箱形のモデレータのことをいい、大強度中性子源では軽水がほとんど唯一の材料となります。
軽水プレモデレータは、ターゲット及び反射体からの速中性子あるいは減速中性子を効率よく熱中性子に変換して液体水素に供給する役割を果たします。また、その中に熱中性子をある程度溜め込むので、結果的に、液体水素モデレータから取り出す冷中性子ビームの時間積分強度を数倍に増加させることができます。
さらに、プレモデレータでは液体水素冷モデレータに与えられる熱エネルギーを代わって吸収する働きもするので、冷モデレータの熱出力も出力密度も低減することができて、コスト減とともに安全面でも信頼性の向上に寄与します。

○ポイゾニング

高分解実験に不可欠なパルス幅の狭い中性子を得るためには、モデレータに中性子吸収板(ポイゾン)を挿入する方法があります。モデレータの適当な深さの位置にカドミウム(Cd)やガドリニウム(Gd)等の中性子吸収板を挿入することをポイゾニングといい、ポイゾンを含んだモデレータをポイゾンドモデレータと呼んでいます。この場合、ポイゾン面から中性子取り出し側の面では、ポイゾンの中性子吸収エネルギー(Ec)より低いエネルギーに対してモデレータ厚さが実効的に薄く、即ち、減速時間が短くなり、パルス幅が狭いビームを得ることができます。この場合、ポイゾンの裏側の部分は一種のプレモデレータの役割を果たします。なお、吸収エネルギー(Ec)よりも高いエネルギーの中性子特性については、ポイゾンは影響を与えません。